石原慎太郎氏が、現憲法破棄(改正)と、脱官僚支配を掲げて、再び国政への意欲を明確にした。
現世(うつしよ)の言葉は、見えない原因の世界が現象化(結果)したことの表現である。見える人間界の全ては、見えない神界・幽界の結果である。石原氏の言動・行動が、いかなる見えない世界の力が働いているのかを述べたい。
日本民族は、世界の新時代(真の精心文明)を創造する使命を与えられた民族である。その証明は、日ノ本の国名、日ノ丸の国旗、そして、年号がある事である。平成の年号の真の意味が、まもなく明かされる。詳細は省くが、この日本民族に今、最も必要な人材は、武士道精神・侍魂をしっかり持っている、石原慎太郎氏、安倍晋三氏、渡辺喜美氏、橋下徹氏方々である。日本民族が、世界に誇る、神性・神心である。
大東亜戦争敗戦以来、ワイオ理論を嫌う力によって、ずいぶん侍魂は薄れてしまったが、この大転換期に合わせて、原因の世界で準備されていたものが、はっきりと表舞台に動きだしてきた。言い方が抽象的ではあるが、全ては、原因と結果、因果の法則が働いての必然である。
武士道精神と言えば、儒教として中国の孔子の教えであるが、なぜ発生した中国で根付くことなく、日本民族において花開いたのか?これが、中国と日本の原因の世界の違いなのである。世界のそれぞれの国、民族に、それぞれの使命が、役割が与えられているので、特に日本民族と言って、優越感を持つ事でもないが、歴史は常に、その時代を生きている、原因の世界を担当する神仏の方々と、結果の世界を担当する人間との合作である。
したがって、日本に儒教が入ってきた時、日本民族には、日本の神々によって、しっかりと、仁・義・礼・智・忠・信・孝などが、神々の無言の教えとして、常に直接、人間の心に送られていたのである。ゆえに、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教のように、文字で、言葉で人間を導く必要がなく、ただ、「お天道様(神)はいつも見ている。自分の心にやましい所はないか?神の前で、自分の心を鏡に映してみよ。」と、神社に神鏡が置いてあるのだ。
儒教にも、プラスとマイナスがある。儒教の教えの中で、今最も必要な部分は、仁は言うまでもないが、義と智である。日本民族の使命を果たすために、今、何が正しい義なのか?そして、何がその義を成すために必要な、力ある知なのかを、明確に理解しなければならない。
あの明治維新の時よりも、はるかに大事な義と智を必要とする時である。何といっても、新しい世界を創造していくリーダーとしての使命を、宇宙の大元より与えられた民族なのだから、単に日本国の興廃の問題ではないのである。
石原氏が呼びかける第三極をつくるために、小異を捨て、大同団結することこそ、最も必要な事である。石原氏の高齢を心配することは、全くない。なぜなら神界において、石原氏の命の接ぎ木が行われたからである。グッと若返って、まだ二十年は、第一線で十分活躍できる。
石原氏もやはり、新時代創造の核となる御魂の一人である。他に、同じ政治家の御魂の方をあげると、長妻昭氏、玄葉光一郎氏、東国原英夫氏、城内実氏、宮城県知事の村井嘉浩氏、三重県知事の鈴木英敬氏の方々である。