天変地異は、多くの、常識として定着した思考・知識を破壊していく。破壊される最大のものが、闇が悪で、光が善という思考であろう。
世界一の信者を抱えるキリスト教は、自らが光であり、善であり、反キリスト教的な存在を、悪であり、闇であると、単純に決めつけている。要するに、自分にとって、都合が良いか悪いかの基準で決めているだけである。公にとって、全体にとっての、良い・善・正義などは、建前である。自分が、絶対善と思っての独善的行為ほど、迷惑なものはない。善なるキリスト教徒が、未開の人々を導くと言って植民地とし、その地の富も、文化も、人間性も、命さえも、平気で奪い、破壊していく悪業は、歴史の示す所であり、今も続いている。
祖の時代は、嘘とごまかしの時代、光=善と言って、多くの悪行がなされてきた。キリスト教を槍玉に挙げることになったが、他の宗教にも、また、どの分野にも、世界全体で、当たり前のごとく行われている。
闇の文字の意味は、精心的・物質的エネルギーが働いて、自立の為のエネルギーを造る、の意味である。つまり、闇の方々の本来の働きは、人間を、人類を、一人前に自立させるために、人生の目的である、幸匐な人生創造の力を得るための、厳しい父親の役割なのである。したがって、祖の二千五百年の時代は、多くの苦しみを与えられ、ゆえに、物質文明が、ここまで進化してきたのである。
闇の働きは、常に光との対の働きであり、優しい母に対して、厳しい父の役割、陽に対する、陰の働き、雌に対する、雄の働き、楽に対する、苦の働きである。電気が、プラスとマイナスで対になっているが、マイナス電気はダメだとは、誰も言わないであろう。
つまり、全宇宙の、最も基本的な法則であって、どちらが欠けても、目的を達成できない。その対の働きの大切な片方が、闇の方々の働き、役割である。しかも、この働きは、人間の本体・主体である魂の進化において、闇の体験も、光の体験も、どちらも経験しなければ、進化成長しないのである。
自他共に、善人、良い人、と思っている人も、過去世において、しっかり悪人の体験があるのである。今、罪滅ぼしをやっていると思って頂きたい。これが、宇宙の法則に基づく真理である。
しかし、ここで大問題なのが、闇のマイナスエネルギーを、必要悪とはいえ、どこまで使うか?どこまでが必要悪として認められるか?である。これまた、宇宙の法則によって、エネルギーをどこまで使うかは、使う側の自由なのだ。祖の法則が、それを許していたのである。
歴史に残る、必要以上にマイナスエネルギーを使った人間は、毛沢東、スターリン、ヒトラーなどである。が、挙げればきりがないほど出てくる。さらに、宗教、思想、国家、組織など、世界全体で、今でもしっかり、必要以上にマイナスエネルギーが使われている。
おそるべきは、人間の下に心のついた慾。この慾によって、闇のマイナスエネルギーは、限りなく膨張していく。人間の慾にしがみつかれた闇の方々は、もう休みたいと思っているが、休めない状態なのだ。それは、過去の成功体験や、経験による知識・方法を、これからも使おう、今の良い状態を、これからも維持しようとしていることなのである。したがって、しがみついたその手に握ったもの、しがみつかれた方々に、新しい力を使って、休んで頂くのである。闇の方々の無念の思い、怒りの思い、汚名を、早く晴らしてやらなければと思う。
*みんなの党の江田幹事長、クローズアップ現代の国谷裕子氏、アメリカから日本に帰化された日本文学研究家の鬼怒鳴門氏も、新時代創造の核となる御魂である。