ワイオ時事評論No.19 平成

日本にはなぜ、年号があるのだろうか?

 

中国から始まった年号は、日本では、645年に大化という年号が初めて使われた。世の中の大きな変化、天皇の即位の時に、年号は変わったが、新しい宇宙のルールが動き出した明治元年からは、新しい時代の中心の国として、年号によって、その時代を象徴する文字に、原因の世界の意志がはっきりと表れ出した。

 

日本民族が、新時代創造のリーダーとなる役割を与えられた民族であることの証明となるものは、いくつもある。これからの昼の時代、精心文明の時代となると、昼を象徴する国名は、この太陽系の昼の時代の中心、基・本という意味をもつ、日の本である。

 

日とは、基本的に、太陽を意味するし、物造りのエネルギーの意味でもある。アメリカの米国の米は、動かすの意味である。その国名が示すように、日本は、物造り大国である。精心的には、東日本大震災で証明した。そして、国旗も、汚れなき心(白地)で、昼の時代に、全世界に、太陽のごとき、全てに恵みを与える、情熱をもって、地上天国を創造する意味の、赤い丸が中心にある国旗である。人間心で適当に考えられた、国名・国旗ではなく、原因の世界での図り事である。

 

では、平成とは、何を意味しているのだろうか?文字の意味は、「平らに成る」であるが、一体、何が平らになるのか?目前に迫った大天変地異が、その全てを証明することになる。

 

一、ピラミッドの形のものが、全て消滅していく。高い山、高層ビル、タワー、ピラミッドの組織、仕組みなどが、平か、円形になっていく。山は台形になる。中央集権も、当然、地方分権化していく。システム販売の仕組みも、企業の仕組みも、物流も、ピラミッドの仕組みである。高い知識人も、高い地位も、同様である。

 

一、大の名のつくものも、全て消滅していく。人口大国、経済大国、軍事大国、大企業、大学、大組織、大金持ち、財閥など、全て、小に分かれていく。中国は、他国に自国民を送りこんで、自国化しようとしているが、無駄な、愚かな政策である。

 

二十四年前に、平成の年号がつけられたが、やはり、原因の世界での、明確な目的を持って、大天変地異という方法で、全て、自然界も、世の中も、平になる。平にするという目的を持って、平成と名付けられたのである。

 

平成天皇陛下も、皇后陛下も、決して高きにおらず、常に、一般国民と共にありたいと、贅沢はせず、国民の心の痛みを、我が事のように、共に悩み、苦しんでおられる。特に、あの東日本大震災で、全国民が、両陛下の高き神性を、神心を、改めてしっかりと感じ取ったのである。

 

田中文科大臣は大学認可問題で批判を浴びたが、これも、原因の世界からの予告である。教育界も変化するが、今の教育は、学歴と資格を取るため、金儲けのための知識を、好きでもないのに、苦労して学ぶ教育システムである。

 

とにかく、新しい時代(皇の時代)は、一切の苦がなくなっていく時代であるから、勉強で苦しむこともなくなる。学ぶとは、好きで、樂しく、楽くでなくてはならない。小学校五年までは、読み書き、そろばんの基礎学力の勉強はするが、あとは、実習をしながらの体験学習というシステムに変わっていく。

 

したがって、毎日樂しく学んでいるから、いじめなどする者は、一人もいなくなる。とにもかくにも、その子供が、何が好きで、樂しく学ぶ(遊ぶ)ことができるか(魂職)を見つけてやるのが、親・教師の責任・役割である。したがって、小学校以上の学校は、全て実習を伴う、専門学校の形になっていく。…というよりも、実社会での、体験学習の形になっていくのである。

 

全てはまず、原因の世界の動きを知らなければ、無意味な評論・論争になってしまうのである。