ワイオ時事評論No.34 閻魔大王

この所、死者の数が増え、遺体の火葬が間に合わず、一週間から十日も待たされていると報道されていた。あの世から今の世に誕生するためには、魔(セマ)大王の許可が必要で、今の世からあの世へ行くには、閻魔大王の許可が必要である。つまり、地上での人口は、全て、魔、閻魔の二人の大王によって決められ、コントロールされているのだ。皇の時代は、地球の本来の適正人口は、約三十億人である。

 

ルールの交替によって、祖の大王から皇の大王に交替した。が、祖の時代は、神界・仏界も、それなりに、ウソ・ゴマカシが通用していたので、今の世に生まれ出てくるにあたり、うまいこと魔大王の目をごまかして、こっそり出てくる者もいた。また、一定の数は、魂のない者も、神や闇に丸ごと使われる肉体として、今の世に存在することが必要であった。

 

しかし、これからの皇の時代は、魂のない者は一切、今の世に存在することができないルールである。祖から皇への移行期に、魂のない者や、皇の時代には生きられない種類の魂は、すでに魂が休んでしまっているので、魂の消えた抜け殻の肉体だけの者は、閻魔大王の裁定によって、順次休んでいくのである。

 

神界においては、魂の休んでしまっている者を、死者として扱うので、その者の肉体の命は、閻魔大王の司令により、肉体処理係の除の方によって、あの世へ旅立っていくのだ。したがって、天変地異を前にして、一日にあの世へ行く平均数より、増えているのである。

 

人は、死を恐れるが、なぜ恐れるのか?死とはそんなに恐ろしいものなのか?本当は、今の世で苦しい生活をしているよりも、あの世へ行った方が、はるかに楽くである。ただ、死に至る過程での苦しみが、恐ろしいだけなのだ。体験したことのないあの世の生活が、詳しく知らされていないので、わけもなく恐ろしいと思っているにすぎない。苦しい今の世から、楽くなあの世へ引っ越すだけの事であるが、今の世への未練は、誰にでもあろう。

 

家族への思い、やり残したこと、やり足りないこと、別れたくない別れなど様々であるが、いずれにしても、自分の本体がすでに休んでしまっているので、生きていても満足のいく人生を歩くことはできないのだ。しかも、神は可能な限り、苦しみ少なくあの世へ送るべく、あの手この手を考えてくれている。なんといっても、我々人間と呼ばれている人は、今まで百三十回以上、輪廻を繰り返す中で、死を体験しているので、魂としては、死は、少しも恐ろしい事ではないのだ。

 

ただし、あの世での苦がない訳ではない。今の世での生活状態や、死ぬ間際の肉体、精心の状態に苦があるか否かによって、苦があれば、その苦は続くのであるから、死に際が大事である。ものは考えようという。天変地異による大破壊によって、しばらくは苦しい時を過ごさなければならないので、一足先にあの世へ行って、地上天国ができたら生まれてこよう、というのは、賢い選択であるとも言える。しかし、地上天国創造に参加して、満足のいく人生を楽しみたいと思う方もいるであろう。その方が、神のレベルまで達した人間としては、納得のいく選択であろう。

 

いずれにしても、祖の時代は、自分の命でありながら、裁定が下るまでは、どんなに苦しくとも、生きなければならなかったが、皇のルールになったので、自分の意思によって、死を決められるのである。首をくくって醜い姿をさらさなくとも、生きるエネルギーを止めてもらえばよい。

 

ブログに載せる前に、この記事の内容を、閻魔大王に確認したら、大王の心情を伝えてくれとの事であった。閻魔大王と言えば、仏教画で、憤怒の形相で、鬼の方々が亡者を懲らしめている絵と共に描かれている。真にイメージが悪い。わけもなく恐怖心を持ってしまうのであるが、決して、好きこのんで人の命を取るのではない。この移行期に、宇宙の大元から与えられた役目として、地上天国創造のために、多くの命を苦から解放するために行うのである事を知ってほしいと言われた。皆が分かっていれば、仕事もしやすいと。ちなみに、閻魔大王の今の世での人間の仕事は、裁判官である。裁判官が、憤怒の形相をしていないように、閻魔大王も同じ、神の慈愛の心をもたれた存在である。

 

今、現在、閻魔大王界にも、休まれる動物、植物、被生命体の方々の思いが、凝縮されて届いており、破壊と創造のために、マイナスの状況であると言われた。やはり、まだしばらくは、お札、カードを使う必要があるようである。