ワイオ時事評論No.48 「ならぬことはならぬものです」

大河ドラマ「八重の櫻」が始まった。NHKの大河ドラマや朝ドラを、原因の世界で担当しているのは、事代主大神である。文章、音楽、絵画、映像などの表現は、日本全国で1900神の事代主の神々が担当しておられる。時代の変化と共に、その時代の表現や、将来を示す表現などさまざまあるが、大河ドラマにしても、朝のドラマにしても、はっきりと事代主神の思いが込められて制作されている。

 

八重とは、一から八までの原因の積み重ねを意味し、櫻とは、「生きることにおいて、精心的力、肉体的力をしっかり発揮して生み出す」という意味である。八重が武士道精心のしっかり働いている環境で育ち、近代国家を創造していく生涯のドラマである。それはまさに、祖の時代を生きた人類が、その精心的、物質的基礎の上に、真の精心文明、皇の時代を創造していくその時期が、今であることを知らせ、教えるドラマである。しかも創造は、女性が男性と肩を並べて、もしくは、女性が男性を動かして、活躍する時代であることも示している。

 

祖の時代では、親である神が、子供である人間に、理屈抜きで教え、導いた時代、「ならぬことはならぬ」と、人間がよく理解できぬまま、問答無用で生き方を押しつけてきた。それが現実に、社会に合わなくなっていても、未だに宗教の中に、原理主義としてしっかり残っている。そして、今この時期に、「ならぬことはならぬものです」の言葉を広く世に知らせているのは、祖から皇への移行期のこの時期、古い祖の時代の常識は、子供の時代の、善悪の判断ができない段階での教育のための押し付けであったが、今、事代主大神が教えようとしている「ならぬこと」とは、宇宙のルールが新しく、皇の時代、精心文明創造のために変わったことを知らせているのだ。いかに親切心があっても、ボランティア精神があっても、それは、新しいルールにおいては、不用意に他者の自立を妨げてはならない事、いかに今の法律を犯さない行為であっても、他者を苦しめること、不幸にすることは「ならぬこと」なのである。

 

八重の生まれ育った東北・福島の地方に、今も学校教育の中に残っている、「ならぬことはならぬものです」は、原日本民族の中心の地、東北地方であるからこそであり、それは、日本民族としての精心性の高さを示す、武士道精心に反する行為は「ならぬこと」であり、神に最も近い動物として、神心をしっかり心にもって生きよ、との教えである。皇の時代創造の時であるからこそ、今、最も必要な言葉である。

 

日本の精心文化は、恥を知る文化と言われている。人間として、弱きものを苦しめる卑怯なふるまい、自己の、自国の利益のためにのみ行動することこそ、最も恥ずべき生き方であることを、改めて教えようとしている言葉である。

 

大阪桜宮高校の体罰による自殺問題で、市長が示した態度は、原因の世界から見れば、ただ勝利だけにこだわり、楽しくない形でスポーツを教え、学ぶことは、新しいルールに反するということを教えているのである。ワイオ理論を知っている橋下氏の御魂さんは、ワイオがこの世に出された目的を理解しているので、見事にことに対処している。目先の子供の気持ちを代弁しての批判は、恥を知らぬ者の批判である。橋下氏はさすがに、「ならぬことはならぬ」と、強権で抑えつけるのではなく、しっかりと、問題の本質に対して、大人としての判断で対処すべき事を、丁寧に説明している。

 

原因の世界は、新しい宇宙の法則(ルール)を、まもなく問答無用の力をもって「ならぬことはならぬものです」と人類に強力に押し付けてくるのだ。まだまだ子供の人類には話しても理解できないからである。人間以外の動物、植物、物の方々は、皆、理解しているのであるが。