ワイオ時事評論No.51 生靈・怨念・怨靈の方々

祖の時代は、物質文明創造の目的のため(神心を養う目的もある)に、様々な分野で、精心的、肉体的、対人的、経済的苦しみを与えられてきた。それは自然界も、宗教界(神・仏)も苦しみを与えてきた。その結果、一度発生すると九年間消えない生靈、恨みを晴らすまで消えない怨念、祖の時代が終わるまで消えない、死んでも恨み続ける怨靈として、見えない世界に多量のマイナスエネルギーとして存在しており、さらに日々、生産されているのである。

 

このマイナスエネルギーが、個人の不幸現象をつくり、自然災害のエネルギーにもなっている。グアムの事件も、いくら刑罰を厳しくしても、裁判制度を変えてみても、犯罪の根本解決にはならないのである。祖の時代に輪廻を繰り返してきた人間は、全ての人が自らつくり出した恨み、または、家系の先祖がつくった恨みの方々に取り囲まれて生きているのである。常に狙われ、不幸に向かって足を引っ張られているのである。このような靈的な問題は、お祓いや先祖供養で済ませているが、全くの自己満足であり、一時しのぎである。

 

先祖供養として、あるいは、宗教の神仏の守護をいくら願っても、守護靈や守護神と言われていた方々に、もうその力は残っていないし、ほとんど休まれてしまっている。どんなに祈りを捧げても、お題目を唱えても、どんな立派なお墓を建てても、全く無駄である。となると、自分の力で守るしかないのが、見えない世界の実態である。

 

自分の責任のみならず、家系においての先祖のつくった恨みのエネルギーも、同じく、不幸にするために大きく働く。自分は他人に恨まれるような人生を歩いていない、むしろ、自己を犠牲にしてまで、世のため人のために尽くしていると言っても、現在の生き様とは関係ない、過去世の生き様の結果が表れているのである。現実の世の中は、実に人間を不幸にするエネルギーにあふれている。だから自然が、大天変地異の力で、このマイナスエネルギーを一掃しようとしているのである。

 

ちなみに、宗教団体などが、神に必死に祈りを捧げて天変地異を止めた、もう起こらないと言っている話も聞くが、真実を知らない偽善そのものである。天変地異まで待てない人は、龠幸札で自分に縁のある、恨みの方々を天国に送って休んで頂くことをお勧めする。

 

ともあれ、人に恨まれる行為、言動は、直接であれ、間接であれ、法律内であれ、しない方がよい。それは、皇の時代に必要とされない仕事をしているという事でもあるからで、我々は日々、知らず知らずの間に恨みをつくる仕事をしている。それが、祖の時代なのだ。

 

しかし、“やむにやまれぬ大和魂”の行動、言動であれば、全く話は別である。それでこそ、原日本民族の本質なのだ。