ワイオ時事評論No.52 勝つことの価値観

祖の時代は、祖のルールの戦夾(センキョウ・共に戦う)、矢目(ヤモク・目的に向かって突進する)、群衆(集まって行動する)、勇敢(頑張る)、闘友(トウユウ・闘うための友)、努力、奮闘、情熱などのエネルギーが、下に心のつく慾のエネルギーと協力して、激しい競争、戦いが繰り返されてきた。精神力を鍛え、肉体を鍛え、知識を蓄え、金・資産を蓄え、スポーツで勝利し、武力で勝利し、経済力で勝利し、他人に勝ち、他者に勝ち、他国に勝ち、自然をも征服し、破壊してきた。

 

人生において、勝利することが何よりも大事であり、至上命令であり、最も価値があるかのように、世界全体が勝つことに命をすり減らしてきたのではないか?そして、勝利をした者が、権力の座につき、地位、名誉を得て、裕福になり、幸福になると信じて、人生を走ってきたのだ。

 

動物、植物、鉱物など、全ての存在がそれぞれ心をもって存在することによる、なんらかの喜び、楽しみを知っている。どうすれば喜べるか、楽しめるかを知っている。しかし、祖の時代から皇の時代へ変われば、喜びも楽しみも、その質が変化するのである。そして何よりも、祖の時代において、絶対的価値観であった、勝利することによっての喜びなどは消えていくのである。

 

皇の時代は限りなく、精心的、肉体的、対人的、恵戝的に自由であって、心の感じるままに、日々、自由に生活し、その中での自分の行動が、他者の喜びとなった時に、自分が嘉べる。そうなったとき人は、神に進化成長したことになるのである。自分が、自分たちがどれだけ喜んでも、その反対に、苦しむ者がいたら、それは真の喜びにはならない。したがって、皇の時代は、勝つための競争、戦いのエネルギーは存在しなくなるのである。

 

体罰での自殺問題も、オリンピックのレスリング問題や、東京での開催問題も、勝つことの価値観の終わりの始まりである。この宇宙の法則とエネルギーの変化のことは、人間以外の全ての動物も、植物も、鉱物も、全て、神、観音さま方から聞いて知っている。まもなく起こる大天変地異に備えて、心の準備はしっかりと出来ているのである。人間が他の動物より進化した動物であるとは、恥ずかしくて、とても言えないのではないか?