ワイオ時事評論No.92 食人文化

黄文雄氏の中国人の食人文化の本を読んだ。おそるべき内容であり、人間とはいかなる存在かを深く考えさせる歴史の事実の内容である。哲学を学ぶ人、心や愛を説く方々、政治家、教育関係者は、中国のこの歴史的事実を正面から受け止めなくてはならないと思う。この歴史の事実は、現在の中国の国民性、権力者の動向に、今なお大きく影響を与えている。決して過去のおぞましい出来事ではないのだ。人間としての存在の本質を究明する、世界的に貴重な労作であり、単なる中国批判の書ではない。ワイオ理論で言えば、人間とは単なる器、入れ物である。その入れ物に何が入ってくるか、入ってくるものによって、人間はいかようにも変わる存在であると言っている。さらにその奥に、更なる原因がある。

 

原因の世界を探っていくと、ユーラシア大陸の中心に位置する中国の地は、地球人類43代、44代の時代に恐竜が人間として最も繁栄していた場所である。恐竜の名の通り、絶対的な力をもって他を支配していた土地であった。恐竜といっても、肉食恐竜はその名の通り、恐ろしい存在であるが、恐ろしくない草食恐竜もいる。そして恐竜たちも、それぞれ個性をもった魂ある存在である。恐竜の魂も進化して、45代、46代においては、祖の時代は肉食恐竜が、秸・皇の時代は草食恐竜が、神として、その時代を導き、創造してきたのである。

 

よいよ精心文明創造の段階に入ったので、かつて草食恐竜であった神々と共にワイオ理論を学んだ人間が、協力して創造を進めていくのだ。とにかく、その地に住む全ての存在は、その地のエネルギーの影響を受けずにはいられない。器である人間に、いかなるエネルギーが入ってくるか。また、自信がいかなる思考によって、自分に必要なエネルギーをとりこむかは、魂の進化レベルと個性によって異なる。つまり、中国の土地には、肉食を好む恐竜のエネルギーが、他の地よりも強く残っていて、その影響の結果、肉食文化が発生し、継続されてきた。極限状態で発生したが、一過性のものではなく、そのエネルギーが消えない限り、基本的にはなくなることはないのである。マヤ暦で有名なマヤ民族の神には生きた心臓が供えられた。肉食恐竜が神である証である。

 

また、レプタリアンの書に書かれているように、ブッシュ大統領やヨーロッパの王侯貴族など、祖の恐竜に可愛がられた人間は、肉食恐竜のエネルギーを強く受けているので、突然、肉食恐竜のように変身したり、自分のために他者を犠牲にすることなどに心の痛みを感じないのである。単に善悪で判断する問題ではない。日本の食文化による捕鯨に対して激しく批判する方々は、それは単にクジラが人間にとても近い動物であるとの理由を言っているが、では牛や豚、鶏と、どこで、どのように、近い遠いと線引きできるのか?どの動物も人間と同じように、心をもって、感情をもって、痛みを感じている。魂もある生きものたちである。哺乳類でない他の動物たちも同様である。大きな矛盾を感じないのだろうか?実際には食文化の違いによるもので、好きか嫌いか、気にいるか気に入らないか、金儲けになるかならないかによって、判断しているのだ。

 

いずれにしても、すべて元なる原因は、その時代を動かすエネルギーの働きである。肉食民族、肉食好きな人は、より肉食恐竜の影響を受けていると言える。そして、エネルギーが変わって、皇の時代になれば、命ある、心ある動物を食べることは自然に必然的に全てなくなっていく。ウイルスから神までが人であって、神が人間を食べることも、人間が他のいかなる、人間から遠い動物でも、食べることは共(友)食いになる。なんといっても、かつて草食恐竜であった皇の神々は、一切の肉食を求めないし、人間が肉をおいしいと感じることもなくなっていくのである。