ワイオ時事評論No.107 ビットコイン

そもそも、お金、貨幣は、商品交換、労力提供などの利便のために発生し、流通している道具であって、基本的に、物や能力と等価の貨幣の流通でなければならない。にもかかわらず、デリバティブが信用の名で動き回り、物、能力以上の貨幣が、実体の五倍も流通している。実物があってはじめて貨幣が本来のエネルギーをもって動き回ることが、原因と結果の正常な状態である。

 

しかし、暴走する金銭慾によって、急速に実体経済は信用経済に進み変わり、特に米ドルは、世界の基軸通貨として、最も貨幣の本来の目的から大きくずれてしまっている。それは、祖の時代、物質文明創造のための法則に基づく必然であるから、単に善悪の問題ではないが、原因の世界での現在の貨幣のエネルギーは、一万円なら約三十円、一万ドルなら二十ドル、一万元なら三十元と、いずれもエネルギーが、もう消滅しようとしているのだ。貨幣だけでなく、すべての分野において、これまで働いてきた祖のエネルギーが、もう元気に動くことができない、よれよれ、へとへとの状態である。

 

そして、ビットコイン、まさに全く実体のない、裏付けのない架空の貨幣である。まさに今、祖のエネルギーが消滅しようとしている時期だからこそ、登場した貨幣である。この貨幣を登場させた存在は、消え行く、嘘・ごまかしの愉快犯的エネルギーと、祖の経済の終わりの前兆を知らせる、皇の恵戝担当の力も働いて、生み出されたものである。

 

四月から消費税が8%になるが、これが引き金的役割をして、まもなく株価の大暴落が起こると思う。現在の経済学によって、賛否両論あるが、どちらが正しいのでもなく、今までの経済学も、もうその役割、働きを終わろうとしている。ふらふら、へとへとの状態であっての結果である。

 

1929年のブラックマンデー、1987年の大暴落は、祖の時代の中での出来事であったが、今度は、祖の経済を破壊するための大暴落である。お金も経済エネルギーも、一旦休まなければ、新しい皇のエネルギーに変わって、元気に働くことができないのである。したがって、安倍内閣の経済政策の失敗の結果ではない。