中国の故事からの言葉である。以前、「魂の嘆き」で、魂の思いを記したが、今、天変地異を目前にして、多くの魂が、断腸の思いで、今世、ここまで一緒に人生を歩いてきた肉体と縁を切る決断をしている。その決断にあたり、背中を押してくれという思いから、また、自分の想いを言葉に出して、けじめをつけるために、御魂さんが来られている。これまで、何人もの御魂さんや、同じ思いの協力神が、最後の望みをもって、顕在意識の目覚めを依頼するために来られた。
ワイオ理論をしっかり受け止めて、必要な行動をとることを、切々と顕在意識に訴える魂や協力神の言葉は何度も聞いた。その度に、胸が熱くなるほどの、思いのこもった言葉であった。皆、早い時期に、ワイオと縁ができるほどの大きな役割を持った魂の顕在意識でありながら、魂の切なる思いは、なかなか届かず、その時、届いたようでも、喉元過ぎれば…で、いつの間にか記憶から消えてしまっている。中には、切なる思いを薄ら笑いを浮かべて聞いている者さえいた。
十数億年の長い、長い、進化成長の苦難の旅を続けてきた魂にとって、今世でのワイオ理論との出会いは、肉体をもっての最後の人生となるであろう、千載一遇のチャンスである。それにもかかわらず、その魂の思いは顕在意識には届かないのだ。魂が、必死の思いを顕在意識に送っても受け止めてくれないのであれば、魂としては、その肉体を見限って、新しい肉体に乗り換える選択しかないのである。結果、多くの魂は、次の新しい肉体を、協力神と共に探し、次の肉体はこの肉体だからと言って、この方にワイオ理論を伝えてほしい、セミナーに参加するようにと依頼に来る魂もおられる。
ワイオ理論を地上に下ろされた方々も、その目的達成のために、他の国に、他の星に、よき見本となる、確かな地上天国創造の経過、推移を実行できる魂の人間を、創造の核として準備してきたのであるが、その魂の思いをしっかり表現できる顕在意識でない場合が数多くあり、目的達成のための核としての役割にふさわしい人間を揃わせることが、天変地異を延ばしている大きな理由にもなっている。つまり、お札やワイオ器械で、明らかに結果が出た段階であれば、人はいくらでも集ってくる。しかし、結果の出ない前に、理論の本質を知って、感じ取って、魂の思いをしっかり受け止められる人間であることが、一番、望まれることではある。恐るべきは、戦後の下心いっぱいの精神的慾の溢れた環境と、高い日本民族の精心性を消したGHQの教育の力である。
今からでも遅くはない、魂の思いに目覚めよ!と書いても、ただむなしく思えてしまう。