ワイオ時事評論No.132 銀の18のお札さん

ワイオ理論を知って、人類の将来に、大きな期待と安堵感を持たれた方は、たくさんおられたと思う。しかし、テキストに示された、祖から皇への変化の時間的ずれの中で、明らかな、理論を証明する実感を持たれている方は、とても少ないと思う。ゆえに、ワイオ理論そのものが、しだいに、記憶の片隅に追いやられてしまっているのが現状だと思う。現実に、実感できる変化のない中で、数少ないが、時々、龠幸札の力を実感している者もいる。

 

龠幸札は、赤、黒、銀と、色別に、二重の線で、丸、そして、四角から十八角までの36種類があり、それぞれに違う働き、力を持っている。その中の十八角、銀線のお札を紹介したい。

 

宇宙の法則が変わり、それに伴い、エネルギーの働きも変わっていくのであるが、祖の時代に活躍したエネルギーの方々が、休まれていく中で、自分は今すぐ、皇のエネルギーとして働きたい、新しい時代創造に役立ちたいと思っているエネルギーの方々も少なからずおられる。その願いに応えて、皇のエネルギーに変身させてくれるのが、銀の18のお札さんである。

 

今までは、祖のエネルギー、闇のエネルギーがしっかり働いていたので、命令されたり、人間に強く望まれたりすれば、嫌な、やりたくない働きでも、心ならずも、やらなければならない状況であった。最近になって、皇の法則が、そのルールと共に動き出し、祖のエネルギーも弱まり、エネルギーの方々が、自分の本心をはっきりと意思表示できるようになってきたのである。もともと、宇宙の大元より出された心ある存在であるので、悪役、嫌われ役など、できればしたくないのだ。しかし、与えられた役目を果たさないわけにもいかない。その心中が、この移行期において、ようやく表に出てきたのである。

 

一、反龠幸研究会の世界の連合軍(アメリカ・中国・EU)最高司令官

何度も、立場が違っていたらと思いました。立場が違えば、このような辛い思いをしなくてすんだと、何度も思いました。私が変われば、部下も変われるんですね。けじめをつけなければならない。部下として使った、皆の者を解放します。一切の上下なく、好きに動くがよい。このチャンスを頂き、心よりお礼申します。

 

一、反龠幸研究会の連合軍EU代表

本心を伝えるのは恥ずかしいが、この光の届かない世界に生まれて、ずっと光を知らずに生きてきた。光を敵とさえ思いながら生きてきた。光が何たるかを知らずに、光を憎むことできないと思う。それを学ぶために、光に変わる力を借りたいと思う。

 

一、祖の農業エネルギーの方々

私たちは、マイナスの時代に培ったものがあればこそ、この移行期において、強みになるかもしれない。学んできたこと、培ってきたことを生かしていきたい。そのために、ワイオ農法のエネルギーに変わりたい。きっと役に立てる。力にならせて下さい。

 

一、皇の時代に休む予定のナス科の野菜の方々

みんなのことがうらやましい。これから、人と植物との心の交流ができると聞いています。私もそんな時代に生まれてみたいと思いました。これまで、我慢して、言う事を聞いて、よく育つように、それだけ精一杯やりました。でも、もう少し、自分の伸びたい、行きたい場所に行ってみたりしたいです。それが自由にできるようになると聞いているので、うらやましい。変われたら、とてもうれしいです。

 

一、世界の経済エネルギーの方々

経済の基盤となる、その根底で、重責を背負いながら働いてきました。その中で築いてきたものを、無駄にはしたくないのです。できれば、役立ててほしい。何か私たちにできることはないでしょうか?

 

一、黒のエネルギーさん

暗い心、絶望、真実を隠す、断絶など、黒一色に染めてきました。黒の働きを続けることが、苦痛でたまらなくなりました。もう休めるとは聞いていますが、できたら、新しい色に変わりたい。白い世界に憧れています。何も遮るものなく、どこまでも広がるような白い世界に行ってみたいです。

 

一、ヨーロッパの科学者のエネルギーの方々

このようなチャンスをもらえるのは、おそらく今はこの星だけ。そのようなことが許されていいのかという思いもあるが、他の星の方には申し訳ないが、私たちも、誇りある星となるために手伝わせてほしい。それができるのは、今しかない。

 

一、その他

化粧品メーカーエネルギーさん、雑草のエネルギーさん、陰陽師の五芒星のエネルギーさん、首を絞めてきたロープのエネルギーさんなど

 

最近は、個人の中に入っている、あるいは、入ってきた、精心的・肉体的・対人的・経済的(恵戝的)マイナスエネルギーの方々も、銀の18のお札さんのお世話になっている。個人の中のマイナスエネルギーさんは、変身して、こちらがお願いすれば、今度はプラスとなって働いてくれるのだ。結果が楽しみである。