ワイオ時事評論No.136 憲法問題の視点

護憲派と言われる方々は、アメリカが造って押し付けた憲法であっても、良いものは良い、いまさら、造りかえる必要などないと言う。しかし、憲法問題とは、本来、その国の人々が、自らの力で、日本国とは、他の国といかなる違いを持った歴史の中で、今の民族性、文化を持ったのか、歴史に登場している先人たちは、その時々に、何を思い、考え、行動したのかを、改めて学ぶ、絶好のチャンス、別の言葉で言えば、日本人を好きになる、自国に誇りを持つことのできるチャンスの時としなければならない。その中から、この日本を将来、どのような国に創造していくのかを、可能な限り、全国民が話し合い、語り合って、造っていくのが、本来の憲法問題なのだ。それでも、この憲法は、世界で一番尊敬できる国に造ってもらったものだから、日本国民には、とてもこんな立派な憲法は造れないと思ってのことであれば、それはそれで仕方のないことではある。

 

本来、憲法は、小学生の時から段階的に学ばせるべきものであるが、純粋な子供たちに教えるには不都合があったのだろう。一度でも、憲法の前文と、九条第二項を読めば、「あれ?」と、首をかしげたくなるのではないかと思う。特に、九条第二項は、小学生でも納得できない矛盾に気づくであろう。戦力は持たないと言いながら、自衛はあると言う。ならば、自衛のために戦力を持つと書き換えればよいではないか?そうしなければ、子供が読んだ時にどう思うのか?大人は、物事の一番基本的なことをいい加減にしておいて、その時々に、自分に都合のよいように取り繕っていると、大人の無責任さ、言うこととやることの違いを素早く感じとるであろう。

 

一、自衛隊は憲法違反だと言っていた者が、自衛隊が定着したら、日本の防衛は、日米安保条約でアメリカ軍に守ってもらえばよい、つまり、世界一の用心棒を高い金を出して雇っているのだから、日本の若者の血を流すことはないと言っているのだ。要するに、3Kと言われている、きつい、汚い、危険なことは、他国の人にやらせればよいと、真に、卑怯者をつくることを平気で言っているのである。後進国からの移民政策も同じ意識が働いている。

 

一、国際紛争は、外交で、話し合いで解決しろと、能天気に言っている平和主義者は、戦争の歴史をまともに学んでいない。現実に、中国の外交の現状を見ても明らかなように、話し合いなど、全くと言ってよいほどに、軍事力で道理や正義を踏み潰している。このままいけば日本も、チベットやウイグルの方々と同じ状態になっていくであろう。それでも武器を持って戦わないというのなら、ベトナムの僧侶のように焼身自殺で抗議するか、ガンジーのように座り込んで、殺されても無抵抗主義で抗議するか、その覚悟があれば、それはそれで立派であり、多少の賛同者も出てくるかもしれないが、そのような決意や呼びかけは聞いたことがない。軍隊、戦力は、万一の時のために備えるのであるが、それをしない大人を見て、子供たちは、その偽善と無責任さをはっきりと感じとるだろう。

 

一、憲法は権力者を縛る大きな役目があるという。一体、現実に縛らなければならない権力とは何か?日本国で一番権力を持っているのは、主権者と呼ばれている国民であろう。その主権者が、選挙において、立法権を持つ代議士を選出し、その代議士が、行政権を持つ政府をつくる。その彼らが気にいらないのであれば、また選挙で変えればよい。それだけのことである。この基本的なことこそ、義務教育の中で、歴史教育と併せて、形だけでなく、その中身の重要性をしっかり教えることが必要なのだ。つまり、国民が主権者意識を持てない教育が、戦後、続けられてきた。その結果、偽善的な、時には、悪意を持ったマスコミに、嘘情報を流され、愚かな主権者になってしまっている。それゆえ、まともな政治家が、なかなか登場しなかったのである。その根本原因は、アメリカ、中国から来た、反日エネルギーの働きであるが、ようやく70年続いた異常が、新しい時代創造の核になる魂の動きによって、変わりつつある。新しい時代創造のルールと、そのルールを現実のものにするエネルギーが、ようやく働き出した。日本が今しっかり考えることは、不戦の誓いなどではなく、日本民族の正義の戦いの歴史をしっかりと思い起こすことである。その中から、新しい時代創造のための殺し合う武器を持たない戦いが動き出す。

 

ちなみに、北方領土問題と、竹島問題は、日本が戦力を持たない時に発生し、拉致問題と尖閣問題は、九条があるがゆえに発生したのである。