ワイオ時事評論No.163 大河ドラマ(二)

「花燃ゆ」が始まった。天変地異でドラマが中断されるかもしれないと思うが、そのせいか、神々がドラマで伝えたいことが、早くもはっきりと表現されていると思う。時は幕末、日本の歴史の中でも代表的な激動の時である。このように歴史が大きく動く時こそ、民族の特性がはっきりと示される。幕末から明治維新にかけたこの時ほど、日本民族が世界に誇る武士道精心が表現された時はなかったのではないかとも思う。それが、吉田松陰を代表する侍たちの行動である。

 

松陰は言う。「至誠、天に通ぜざること、未だこれなし」と。誠の思いは、間違いなく神々に届く。しかし、祖のルールに阻まれて、人間にはなかなか届かない。松陰が命を捨てる行動で、初めて人間の心に(弟子たちに)届く。松陰の生きた幕末は、今は祖の時代の終了時である。松陰の時より、遥かに大きな混乱、激動の時である。

 

松陰は叫ぶ。「諸君、狂いたまえ」と。日常の平穏な生活から、狂わんばかりに、今、日本が置かれている状況を思い、考え、行動せよ、と。同様に、今は狂わんばかりに、夢中になって、ワイオ理論に没頭して行動する時であると。

 

松陰は叫ぶ。「お前はどう生きる。自分の人生を。自分の命を何のために使う。死など構わん。思いが届くなら。俺は日本の危機を知ってしもうた。皆は気づかん。気づいても動かん。じゃから、俺が動く。この国を守らにゃならん。」

 

宇宙が始まってから、初めて行われる実験。この実験が成功すれば、全宇宙に、その成果が生かされ、喜びが全宇宙に広がっていく。そのような実験を、全宇宙の大元、于由から、この地球が、しかも日本民族が託されたのである。我々はそれだけの価値あるワイオ理論を知ってしまったのである。これほど、命を懸けることに、命を燃やすことに価値あるものが他にあるであろうか?

 

「花燃ゆ」の花は、女性を表す。見た目、外見がどれだけ美しくても、その心が真に価値ある、命を燃やすことにふさわしいことに燃えた人生を生きていなければ、決して人間として美しいとは言えない。まして時は、日本民族が世界のリーダーとしての使命を与えられ、今こそ、民族の底力を示さなければならない時である。「やまとなでしこ」の魂の高さ、美しさを、今こそ見せる時である。与えられた使命を知って、「燃えよ、やまとなでしこ」、それが「花燃ゆ」を制作した日本神界の女神さま方々の熱い思いであろう。時代は、男の時代から女性の時代へと変わっていくから、女神さま方々の思いはなおさらであると思う。