ワイオ時事評論No.164 四十九日の供養

最近、身内や知人で何人かの方が亡くなられた。天変地異が間近であることを知っている者としては、良い時期に亡くなったとも思う。葬式などでの仏事や神事は、その儀式の目的、必要性があるのだが、ほとんどの人は、その目的、必要性など知らずに、世の中の習慣に従って行っているようである。


祖のエネルギーが少なくなっているこの時期、今までのように儀式の目的が果たされていない。その分、死者を導く観音さまがご苦労されておられる。したがって、新しい時代に合った、新しいエネルギーを使っての供養が必要となる。死者は、その死が、予期せぬ突然死であるほど、自分の死が理解できていない。肉体がなくなっても、自分がこれから、あの世の住人として生活していかなければならないことが分からない状態でいるのである。それゆえに、七日ごとに、四十九日間かけて悟らせ、この世への未練を断ち切らせるのである。そして、四十九日目にあの世の住所が決まるので、四十九日の儀式は送別であり、あの世での誕生の祝いでもある。つまり、そのことを悟らせることができれば、四十九日の日数も、その方法も、形式にこだわり、とらわれることはないということになる。


供養において大事なことは、あの世の住所は、九カ所に分かれており、詳しくは八十一カ所に分かれているのであるが、そのうち三十六カ所は、地獄の領域である。閹魔大王の裁定が下される前に、極楽の領域の住人になれるようにしてやりたいものである。かといって、四十九日間にどれだけ供養しても、地獄へ行く人生を歩いてきた者が、極楽に行けるように変わるわけではないが、とにかく、早く死を悟らせ、気持ちを楽くに安定させてやらなければならない。


もう一つ大事なことは、死者に対する遺族の思いである。死者は、この世とはしっかり縁を切って、あの世の住人として生きようと思っていても、観音さまの導きでそう思っていても、遺族の思いが強く、日々、死者を悼む気持ちが死者に伝われば、死者は落ち着いてあの世の生活ができないのである。一般的には、善人ほど、悼む気持ちが強く、死者離れできない。あの世の住人からは、この世のことはよく分かる。死者にとって、自分の死をいつまでも悼む遺族を見るのは辛いことである。死者が親であれば、この世の子供が幸福に暮らしている様子を見せるのが、何よりの供養である。高価な墓など、供養にはならない。不幸にして子が先に死んだら、親のことは心配せず、あの世の生活をしっかりしなさいと言ってやることである。


さて、いよいよ皇の時代である。新しい力(龠幸札)を使って、あの世の住所が地獄の領域であれば、天国の領域へ住所を変えてやることである。それをしなければ、とてもワイオ理論を知っているとは言えない。人間としての心があればの話ではあるが。