ワイオ時事評論No.200 休みたい思凝靈の方々

前回に続く話ではあるが、すべての存在に心があって、心に入った情報によって、心のものさしの判断で、思いが発生する。発生した思いにエネルギーが働いて結果となる。結果が幸せであればよいが、祖の時代はそうはいかない。マイナスの記録、記憶、怨念、怨霊など、様々あり、さらに、霊と言っても、肉体の命が終わって葬式などで御靈と呼ばれあの世で暮らす方々は、霊と靈体と幽体で構成されている。怨霊と言われている方々は、霊と靈体の存在。浮遊霊と呼ばれている方々は、幽体だけの存在である。さて、思凝靈の方々はと言えば、霊だけの存在なのだ。


霊を見たとの話はよく聞くが、それは幽眼が幽体を見ているのであり、神々の靈体は見えない。よって、思凝靈の方々は、通常は見えない存在であるが、一人の人間に多数の思凝靈が一緒にいる。霊と呼ばれている方々は、毎日の生活に、人生に多大なる影響を与え続けながら存在しているのである。その影響を知らずして幸福な人生など絶対にありえない。


御靈さんは、あの世の天国よりも地獄の領域へ行っている方が多くいるので、たえず辛い状態を症状で知らせてきたり、供養を求めてきたりする。早く天国へ送ってやらねばならない。怨霊の方々は言うまでもなく、時には命を奪って恨みを晴らそうとする。だから、恐ろしいからお札を使うのではなく、もともと自分や自分の先祖が罪をつくった結果なので、一日も早くお詫びをして天国へ登ってもらわなければならない。悪霊などと言って追い払うなど、もってのほかである。浮遊霊は事故や病気などの原因にもなるので、浮遊霊の多くいる場所は、時々、お札で浄化する必要がある。


思凝靈には、マイナスの影響を与える方々と、プラスの影響を与える方々がおり、プラスの方々のことはいずれまた記したいと思う。思凝靈の方々は、すべて過去に自分が生み出した存在であり、マイナスの方々は、やはり休みたいと信号を送ってこられた。この方々に休んで頂かないと、魂の記録による本当の自分にはなれないのだ。自分のことは自分が一番よく知っているというが、自分が自分のことを一番わかっていないとも言う。自分のことをとても情けなく思ったり、嫌いになったり、なぜこんな言動、行動をしてしまったのかと後悔したり、自分を自分でコントロールできなかったり、なぜだ?どうして?と思うことは、誰にでもよくあることではないだろうか?


思凝靈の方々の数は個々に違うが、過去世に辛い思いをした、その思いがそのまま残っており、肉体的、対人的、経済的、その他と、一人でおおよそ十数人の思凝靈が常に一緒にいるのである。怨霊や思凝靈の方との対話によって、自分の現状に対しての「なぜか?」が分かってくる。


とにもかくにも、なぜだ?と思ったら、その根本原因を探さなければならない。その道案内をワイオ理論が行う。それは個人のみならず、公のこと、国としてのことも、世界全体のなぜ?にしても同じことである。