ワイオ時事評論No.203 専門馬鹿

一般的には、自分の専門分野には精通していて、高い能力を発揮するが、社会常識に欠けていたりする人に対して「専門馬鹿」の言葉がある。辞書には、僧侶の隠語として莫迦と書き、馬鹿は当て字とある。馬鹿はよく使われる言葉であり、無知、愚か者の意味であるが、ワイオでは、当て字の馬鹿が本当の意味を表現していると説く。人生は、馬と鹿の二頭立てで、車(身体)が進んでいく。祖の時代、子供の時代は、馬と鹿が横に並んで進んでいく。ところが、馬と鹿なので気が合わない。馬が真っ直ぐに行こうとしても、鹿は右や左に行こうとする。


馬の思いとは、人間の本体である魂の思い。鹿の思いは、その時代の流れに合わせて進もうとする生き方だ。人生の目的は、一、幸せになることと、一、魂の進化の二つである。一般的な幸せを求めるなら、鹿の思いで進まなければならないし、魂の進化を望むのであれば、馬の思いで進まなければならない。吉田松陰の「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ 大和魂」である。つまり、金が一番大事な時代に、愛だ、正義だなどと言っている者は馬鹿者であるということである。祖の時代は、馬と鹿が横並びと言ったが、ほとんどは縦並びの「鹿馬」の状態で進んでいる。


集団的自衛権と安保法制で、国会が違憲か合憲かで紛糾している。ほとんどの憲法学者が違憲だと言っている。憲法は、長い苦しみの歴史の体験から、権力の独裁の暴走を縛る、止めるために造られたとされている。主権を独裁から国民へと移行させ、再び独裁にならないように憲法が働くということであるが、そのために権力が司法、立法、行政の三つに分かれ、独立して働くようになっている。


しかし、問題は、その国の国民が長い歴史の苦しみの体験の中から自らが生み出したものでなければ、決して正常に機能しないのである。つまり、与えられた憲法・民主主義などではだめだということであり、何のために苦しい思いをしたのかであり、苦しみが生かされていないのが現状である。


憲法学者が違憲だと言っているが、そんなことは小学生でも分かることで、自衛隊ができた時から違憲である。要は、憲法学者が鹿馬の状態であり、縦並びの馬鹿であれば、現憲法が昭和22年9月25日に施行された時から、一、憲法の目的から言って、この憲法は違憲であること。一、この憲法では自分の国を自分で守れないこと。一、今、日本が抱えている様々な問題の根本原因が現憲法にあること。一、今の民主主義制度において、主権は国民がもっていて、その主権を生かしていないこと。一、その主権者としての正しい判断をマスコミがミスリードしていることなどを、知らしめることができるのである。


ワイオ理論で言えば、このような鹿馬な状態にしてきた一番奥の原因が、中国、アメリカ、韓国の闇の方々の力である。この方々は、つい最近、お札に乗って休まれていった。残っていた最後の方々が休まれていったので、鹿馬の状態は次第になくなっていく。まもなく起こる天変地異の後に、日本国の与えられた役割、使命に基づく新憲法が造られていくことになる。そして、憲法が変わるだけでなく、他の五法も変わっていく。予告としてはっきり言えるのは、司法の機能が働けない状態になってしまう。つまり、裁判所などの建物も地震で消されていく。それは、人間が人間を裁くことの終わりの時であり、皇のルールに基づいて犯罪者が発生しない世の中の始まりである。