ワイオ時事評論No.215 休みゆく宗教

宗教のことは「ワイオ理論と神界」第二巻で記したが、祖の時代、子供の時代においては、最も必要な存在として宗教があった。子供の時代とは、精神的にまだ自立できていない、大人になっていない状態を言っているのであって、神仏という親に頼る生き方で、何か問題が起これば、神仏に祈り、先祖に祈り、願う。常日頃、守護、御利益を願う生き方である。そして子供は、自分の慾望のままに他者の迷惑を考えずに行動する。それは、歴史が示すところの白人の植民地政策や、現在、中国の覇権主義の行動など、まだまだ精神的に子供の段階の現れである。


自然界の動物は、ある時期が来ると、子供が親に甘え、しがみついてきても、はっきりと自立を促す行動をとっている。人間の親だけがなかなか子離れできずに、子供の自立を妨げている。子も親離れできず、いつまでも親のすねをかじっている親子関係が多くみられる。天変地異は、人間が神仏という親から自立するための最高の手段として神界が計画したことでもある。天変地異によって、一、世界のあらゆる宗教の建物(神社、仏閣、教会、モスク)などが地震などでほとんど消滅する。一、先祖供養の墓もほとんど消滅する。ただし、神のいる神社、観音のいるお寺などは残される。


つまり、祈る対象物をなくすことによって、はっきりと宗教(親)と縁を切ることを促しているのである。神仏に対する信仰心がどれだけ篤くても、先祖供養をどれだけしっかりやっていても、そのことと天変地異の被害を受ける、受けないこととは全く関係のないことである。かと言って、神仏がいなくなるわけではなく、先祖がいなくなるわけでもない。ただ、祖の時代に必要な親の働きをされた方々が休まれ、今度は、上下関係でない神仏の方々との関係になる。協力して人生を進めていく横並びの関係に変わるのである。人間の個々の内なる今までの育ての親である神仏、先祖の方々に、おかげさまで自立できるところまで育てて頂きましたと、感謝の思いを伝え、安心させてやって頂きたい。この時、龠幸札を使ってご苦労を労ってやれば、どんなにか喜ばれ、安心して休まれていくかは、何度も体験している。理論を知ることと同じく大事なことである。