ワイオ時事評論No.218 休みゆくオリンピック

祖の時代において、スポーツは多くの人々が、見て、やって、楽しんできた。様々な苦のある生活を癒し、潤いを与えてくれた。国家間の紛争や思想の違いを乗り越えて、純粋に、体力、気力を競い合い、互いの努力をたたえ合うことによって心が通じ合い、理解が深まっていく。その最大のスポーツの祭典、オリンピックのエネルギーさんがお札に乗りに来られた。


2020年に行われる予定の東京オリンピックのメイン会場の建設において、予算問題で二転三転し、さらに公式エンブレムも使用中止となった。考えてみれば、日本ほど、物事を行うにあたり、しっかりと予定に合わせて準備できる国は少ない。まして、国家の威信をかけてのスポーツ祭典であればなおさらである。つまり、スポーツ、オリンピックのエネルギーがもうほとんどなくなってきているのである。オリンピックのエネルギーさんが、役目が終わったので休みたいと言ってきたのである。野球、サッカーなど、多くのスポーツが、日々、放映されて、人々を楽しませていることを思うと、とても信じられない話であるが、皇の時代には、少なくとも、競争のエネルギーを使って激しく競い合うプロのスポーツはなくなっていく。健康な身体を造るためにスポーツの効用もよく言われているが、皇の時代には必要ないということである。


したがって、天変地異と共にプロスポーツの施設はほとんど消えていく予定になっている。スポーツがあることによって害になるということではないが、とにもかくにも、スポーツエネルギーが休めば、誰もスポーツで楽しもうという気持ちにならないのである。かくいう私も、毎日ニュースでスポーツの結果を見て楽しんでいる。