ワイオ時事評論No.235 人の中に入った祖のエネルギーと闇の方々

 

ワイオ龠幸研究会で、ここ一カ月ばかり、連日、お札を書き、祖の時代を創造し、維持してこられたエネルギーさんや闇の方々に休んで頂いているのは、公に働いている方々である。

 

個人個人に入っている方々は、やはり、その個人が自らの意志で休んで頂くように、今までのご苦労に感謝して、お札、カードを使わないと、自然に休まれていくのにはまだまだ時間がかかる。しかも天変地異の力を借りて、人もエネルギーさんも闇の方も痛い思いをしながら休むことになるのである。

 

人間は無意識のうちに、祖のエネルギーさん、闇の方々に働いてくれと頼んでいる。休まないでくれと、手を、足を引っ張り、すがりついているのが実状であるのだ。つまり、疲れて休みたくているが、休めないでいるのである。要するに、ワイオ理論を知って、皇の時代の生き方を実行しようとしても、そう簡単には、生き方、考え方は変えられないのである。何といっても、世の中の常識に逆らって生きることになるため、知識として知っていても実行は難しいのである。したがって、自分の中にしっかり入り込んで働いておられる祖のエネルギーの方々、闇の方々に早く休んで頂かなければならないのであるから、人間に入って、常識として定着している方々を無視して皇の生き方を実行するには、ワイオ理論がこの世に出された本当の目的をしっかり理解し、強い使命感を持っていなければ、とてもできることではない。

 

人間は環境に左右される動物なので、ワイオ理論が証明されて、ワイオの話を声高に言える環境にならなければ、なかなか動けない。天変地異などで理論が証明されても、内なる祖の方々が休まなければ、容易に非常識な行動、言動は取れないであろう。そのためにもお札があり、龠幸カードが用意されているのである。

 

環境が整い、誰も白い目で見なくなったから皇の生き方を実行しようというのでは、先駆けてワイオを知った意味がない。価値がない。先駆けて知ったということは、知った個人にも与えられた使命がある。使命などという堅苦しい言葉はさておいて、人生は己の人生を楽しむためにあるのだから、ワイオで人生を楽しむことこそ、先駆けて知った者の特権であろう。少し発想の転換をすれば、ワイオを知らなければ味わえない数々の楽しみが発見される。真にもったいないことである。