皇の時代に司法の役割はない。したがって、天変地異と共に裁判所は休まれる。刑務所も、多数、休まれる。かといって、法を犯した者が犯罪者として罰を受けなければ法治国家は成り立っていかないことになる。
東京裁判のように、事後法で裁かれたり、田中角栄氏のように、日本の司法にない手続きによって不当に裁かれたり、ハーグ陸戦条約の国際法を犯し、日本に対し大戦争犯罪を犯したアメリカ軍が裁かれなかったり、あるいは韓国のように民意によって司法が左右されたり、中国のように権力によって司法が悪用されたり、祖の時代であるがゆえに、司法に対する問題が今現在もある。
そして、特に日本において納得がいかないのは、日本人でありながら、日本国民に対して大きな精神的苦痛、経済的損失を与えている反日日本人(売国奴)を、今の法律で裁くことはできない。これは法学者の責任もあろう。国会議員、教育関係者、知識人、メディア、官僚など、責任ある立場にいる人たちの中に多数いる。「その罪、万死に値す」とまで言われているにもかかわらず、一人一人名前を挙げれば、きりなく出てくる。
拉致、従軍慰安婦、南京大虐殺、東京裁判史観などに関する反日日本人は、生涯、罪を問われることなく、罰を受けることなく、人生を終わることになる。しかし、あの世(故介)へ行ったら、そうは問屋が卸さない。現在、行われている、いかなる供養をやったとしても、罪を受けなければならない。それは、宇宙の因果の法則がしっかり働くからである。たとえば、マッカーサー、ルーズベルト、トルーマンなどの方々は、地獄の一番底の「苦人」の領域に行っている。まだ命のある反日日本人の多くは、間違いなく「苦人」の領域に行くか「窘人」の領域に行く。
苦人の領域といっても、9段階に分かれていて、苦の度合いに差があるが、間違いなく罪は償うことになる。ただし、今の世で罪を償えば、再びあの世で罪を受けることはない。死刑廃止論があるが、長い年月、様々な自由を奪った状態で苦を与えるより、短期の苦しみで罪を償う形を、皇の時代は行っていく。したがって、人が人を裁くことは、天変地異と共に終わるのである。