ワイオ時事評論No.256 靖国神社の存在価値

天変地異と共に、全国の約80%の神社仏閣は休まれる。休まれる神社仏閣には、神々、観音の方々がおられないからである。今までの時代は、多くの人々が身近に、神社には初もうで、お祭り、お宮参り、七五三、お寺には葬式、先祖供養などで参拝の機会があった。そして、神社には神さまが、お寺には観音さまなどの方々がおられるものと、特に疑うこともなく、生活の中に行事が定着していた。願い事なども、神仏の存在を疑うことがなかったからでもあるが、一般的にはその存在を確認できておらず、願い事、悩み事は、それぞれの専門家に頼る形が広がっていった。別の言葉で言えば、神社に願い、その願いが明らかに通じた、結果が出たと実感として得られなかったことが、次第に神仏から遠のくことになっていった。それは新興宗教の世界でも同じことである。これは、子供が成長して、次第に親の力を必要としなくなっていくことと、基本的に同じである。

 

祖のルールから皇のルールに変わるということは、先祖、神仏という名の親が、もう人間の幸せのために、親が子の面倒を見るように力を使うことはできないということでもある。お百度参りのように、どれだけ必死に願っても、祈っても、力を貸せないのである。ただ、願い祈ることによって、人間がしばしの精神的安らぎを得られるだけである。神仏が力を貸せないということは、もう充分、自分で幸せになれる、悩み事を自分の力で解決できるだけの能力を持っているということでもある。その能力の使い方を、今はまだ知らない、解かっていないだけなのだ。

 

今まで通り神仏が力を貸していたら、神仏が人間の自立を妨げることになる。親の立場として、それはできないのだ。したがって、神仏の存在を消す意味もあり、全世界のいかなる宗教施設も、ほとんどがその姿を消すこととなる。全世界的に一気に消えることによって、人間ははっきりと、神仏に頼ることはもうできないと理解することになる。そこに、ワイオ理論の知識がしっかりと今までの神仏の役割を知らせ、自ら自立に向かって、人生の目的に向かって歩き出す。神仏に代わる新しい力を実感しながら、49人の他多さん方々と、チームの力を合わせて歩き出すことができる。

 

天変地異は、破壊するためにではなく、休まれる方々を休みやすくするために、その力を発揮する。もう充分、役目を果たし、エネルギーもなく、休みたい方々に、人間はいつまでもすがりついてくる。すがりつかれて休むに休めないでいる。天変地異で姿が消えれば、あきらめがつくだろうということなのだ。

 

ところで、靖国神社には神でなく英霊の方々が祀られている。英霊とは、国のために命をかけて戦って亡くなった方々で、自己の欲のためではなく、公のために命を落とされた方々なので英霊なのである。他国に批判されながら参拝した方々は、不戦の誓いの祈りを捧げたと話す。それは違うだろう。命懸けで国のために戦って亡くなられた方々に祈るのであれば、私も日本国のために命懸けで戦いますと誓い祈るのが、本来の参拝でなければならない。日本国にとって数々のマイナス行為を行っている中国、韓国、朝鮮などの国に対して、また、その手先となっている反日日本人に対して、全力で戦うと誓い祈るのが、日本人として当然の祈りでなければならない。このように誓いの祈りの神社は、靖国神社だけでなく、全国にある護国神社にも、その地の英霊が祀られている。したがって、天変地異で休む神社ではない。

 

ワイオ理論を学んだのであれば、英霊の方々に対し、皆様方にまけないように、築き上げて頂いた日本民族の誇りを持って、新しい時代創造の世界のリーダーとなるべき働きをしてまいりますと誓って頂きたい。天変地異で休まずに残った神社仏閣への参拝は、日本民族の、見えない世界の神々、観音の方々と同じ民族の目的のために、心を一つに合わせる象徴の場所である。