人間は誰もがお金を自由に使える人生、お金に困らない人生を望んでいる。したがって、国政選挙になると、候補者、政党に一番に望むことは、毎回、景気をよくしてくれということになる。安倍政権がいわれなき批判をされているが、これも大企業だけが株高で潤っているのではなく国民全体が潤う結果になれば、それ以外のことはまぁまぁということになっていくのであろう。
経済エネルギーも祖の時代のエネルギーなので、残りは少なく(4%)なっている。金は天下の回り物と言われているが、金がエネルギー不足で元気に飛びまわれないのである。お金に元気がないと、人間にも影響を与えて、使う気にならない。企業も内部保留になる。そして、しばらくして経済エネルギーがゼロになった時、本当にお金の流れが止まる時が来る。いかに経済学の知識をもってしても、いかなる経済政策をもってしても止まる。かといって、止まったのはお金のエネルギーがなくなったからだということは誰も解からない。
天変地異と共に祖の金は皇のエネルギーに変わる。皇のエネルギーの金とは何か?それは、お金も子供から大人になって、お金自身が自分の心の思いをもって動き出すということでもある。自分をほんとうに必要としている人の所で働きたい、役に立ちたい、貯蓄、財産という形で働けない、喜びを感じられない所には行きたくない、居たくないと思っているのだ。お金がお金として心をもって存在しているということは基本的にとても重要なことで、株や商品、相場、通貨の上げ下げで利を得ることもなくなっていく。つまり、金融資本が世界を支配することができなくなっていくのである。そのことは天変地異が世界の金融システムを破壊することによって証明されることになる。金融システムが破壊されると、お金は造幣局で造られ、日銀によって各自治体の役所を通じて流れることになる。役所から各個人に流れ、金の流れの中に利子利息はもう発生しなくなる。
お金の本来の目的は物や各種のサービスを得るのに便利なものとして誕生したので、本来の働きに戻ることになる。したがって、今までの信用経済から実体恵戝、つまりある物の持っている価値と同等の貨幣、サービス提供のエネルギーと同等の貨幣が造られて使われていく。物の動きも地産地消が進み、その地方だけの物流のための地方通貨も造られることになる。そして、世界の基軸通貨、国際通貨も必要なくなってくる。すでにグローバル経済エネルギーも残り少なくなり、グローバル経済知識も不要になっていくのである。要するに、他国の経済状態によって自国の経済状態が左右されなくなるのである。ユーロも各国の通貨発行に戻る。
お金は、他者を苦しめて自分が儲かればいいという人にも、そのような職種にも働かなくなる。これが皇の時代、すべての心ある存在の心が大切にされる精心文明なのである。