世界の宗教の大きな矛盾が次第に明らかになってきて、神の教えに疑問が広がっているが、それでも原理主義者がまだまだたくさんいて、日本人の常識から考えると首をかしげる事が多くある。
イスラム教の女性差別と思える教え。一日五回もの礼拝。スンニとシーアに分かれての殺し合い。キリスト教も同じく、カトリックとプロテスタント間での殺し合いの歴史。異教徒に対する情け容赦ない植民地政策など、日本人にはとても考えられない、おぞましい、神の教えとして行われてきた歴史。一般的な神に対するイメージと、神が宗教として人間を導いてきた実態との大きな差に驚くばかりである。なぜなのかの答えはワイオ理論でしか正しく説明できないのであるが。
では、仏教には矛盾はないのだろうか?一神教の教えは神前法後で、神が宇宙創造神としてまず存在し、その教えに基づいて法律をつくった。仏教は、法前仏後で、宇宙の法則がまずあって、その法則に基づいて、釈迦の教えがあるという教え方で、仏教の因果応報が基本的な教えである。そして、人は死ぬとあの世へ行く。あの世には地獄と極楽があり、生前の行いによって、行く所が閻魔大王によって決められる。これは事実であるが、地獄の実態は仏画の地獄絵図にあるようなおぞましい所ではない。つまり、地獄の苦しみを与えられるような環境の所ではない。かと言って、罪を償う苦しみがないわけではない。
まず人間は魂、靈、靈体、幽体、そして、肉体、身体、物体とが一緒になって存在している。心臓が止まって、肉体、身体、物体がその働きができなくなると、あの世(故介)へ行くことになる。故介へ行くのは、主に肉体、身体、物体から発せられていた顕在意識と幽体であり、魂、靈、靈体は別のあの世へ行く(自然に帰る)。
故介(あの世)には、苦人、窘人、働人、役人の四カ所の地獄の領域と、幸人、愉人、喜人、釈人、嘉人の五カ所の極楽の領域がある。そして、およそ70%は地獄の領域へ、30%は極楽の領域のあの世の住人となる。
○○の故にとの言葉がある。また、事故という言葉があるように、故介(あの世)の住人がこの世の住人に大きく影響を与えているから使われている言葉である。さらに、現世(うつしよ)、見えない故介(あの世)が現れた結果が、今の世、現実であるとの言葉である。詳細はワイオセミナーで学んで頂きたいが、分かりやすく言えば、地獄の住人の影響によって起こるマイナスをなくす事と、極楽の住人によるプラスの影響(お陰様)を頂くために先祖供養が必要なのである。もちろん、今ある幸せは先祖のお陰と感謝の思いを表すことでもある。
問題は、現在の、主に仏教による供養で、本当に先祖が喜んでいるか?お経によって、戒名によって、高額な石塔のお墓によって、地獄の辛い環境から極楽に移すことができるか?であろう。残念ながら誰も確認していない。供養のプロである僧侶も確認していないのだ。しかし、ワイオ理論の龠幸札によって、地獄の領域から極楽の領域へ、一瞬に上がることができるのである。その環境の変化は容易に確認できる。したがって、これからは先祖供養として無責任にお金を請求することは極めて無責任であろう。詐欺行為でもある。
もう一つ、特に大事な事は、この世の多くの不幸現象の主なる原因となる見えない世界にいる生霊、怨念、怨霊の方々に極楽に上がって頂くことである。この方々は好きで人を怨んでいるのではない。2500年間の今までの物質文明(祖)創造の時代の被害者とも言える。祖の時代のルールによって、誰もが他人を苦しめ、苦しめられた。それが必要な時代を生きたので、日々、生霊、怨念が生まれ、多くの怨霊が生み出されてしまっている。したがって、個々に自分の責任で生み出した怨念、怨霊の方々に心からお詫びして、極楽に上がって頂かなければならない。
ぜひとも、お世話になった先祖の方々が間違いなく極楽に行けることを確認できる龠幸札による先祖供養をして頂きたい。先祖の方々も、怨念、怨霊の方々も、龠幸札の存在はよく知っておられて、今か今かとお札の供養を待っておられる。