ワイオ時事評論No.273 日本民族は恥の文化

 

西洋人は罪の文化、日本人は恥の文化、中国人は慾の文化と言われている。西洋人は、旧約聖書の教えによるところの、人間はアダムとイブが神の教えに背いてエデンの園を追われた時から原罪を持った罪深い存在であるという。しかし、驚くべきことに、アメリカインディアン、オーストラリアのアボリジニ、その他、異教徒に対して行ってきた数々の殺戮、世界至る所での植民地化政策による残忍な行為に対しては、一切、罪とは思っていないので、公に謝罪の言葉を聞いたことがない。日本に対しては、ハーグ陸戦条約を破って、女、子供、老人を、80万人も虐殺したことに対しても、一言も謝罪の言葉はない。ただ、ただ、彼らの罪と思う事は、神の教えに反した時だけで、常日頃に、主よ、許したまえと、懺悔の言葉を口にしている。とても日本人の常識では考えられないことである。だからこそ、豊臣秀吉が、バテレン追放令によってキリスト教の布教を禁止したことは、当然の事として評価できる。

 

中国人は、石平氏の「中国をつくった12人の悪党たち」に記されているが、凄まじい地位慾、金銭慾、権力慾による慾の文化と言っている。下に心のついた慾望のためには、罪の意識も恥の意識も全くない。祖の時代初期に登場した蘇秦は、中国流外交謀略の原点と言われている。李斯と趙高は権謀術数の陰謀で相手を罠にはめて、秦帝国は崩壊した。漢帝国を築いた劉邦は、国家の私物化と恐怖政治、粛清の伝統をつくった。王莽は漢帝国を乗っ取った史上最大の偽善家で、二人の息子を殺した。則天武后は、生まれたばかりの我が子を殺す謀略で皇后の座についた。袁世凱は私利私慾のために陰謀と裏切りを何度も行って、中華民国の初代大統領になった。毛沢東は大躍進政策で3年間に数千万人を餓死させた責任を自然災害とごまかし、自分の権力を守るために、さらに文化大革命によって1千万人以上を惨殺したり、自殺に追い込んだりした。周恩来は一切のプライドも良心も捨て、毛沢東の奴隷となって、自分の地位を守り生き延びた。

 

アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクト氏が「菊と刀」で「日本は恥の文化」と定義している。では、日本人はいかなることに対して恥と考えているのか?それはやはり世界に冠たる高い武士道精心の仁義礼智信からの思考であろう。いくつか思いつくままに列挙する。

 

1.心ある存在に仁の心をもって接しないこと

 

2.私利私慾に走ること

 

3.自慢し、自惚れること

 

4.権威をもって他を抑えること

 

5.弱きに強く、強きに媚びへつらうこと

 

6.自分の責任を放棄し、他に押し付けること

 

7.他人の苦を知って無関心でいること

 

8.今を生きる大人としての責任ある行動をしないこと

 

9.ワイオ理論の知識を活かさないこと

 

10.本当の自分である魂の思いに、顕在意識を合わせようとしないこと

 

11.義の時を知って何もしないこと

 

義とは何か?辞典には、利害を捨てて、人道、公共のために尽くすこととある。

 

真に幸いなことに、早期にワイオ理論との出会いがあった。結果、今を生きる大人としての限りなく大きな価値ある人生を歩くことが出来ることが解かった。それが解からなければ、ワイオ理論を学んだとは言えない。理解したとは言えない。理解したということは、ワイオ理論に夢中になること。ワイオに戀をしていることでもある。

今ほど大義の時は、今までの歴史においても、これから後もないであろうと断言できる。