心とは何か?心という言葉はとてもよく使われる。心の字を使った多くの言葉があり、昔、解剖して医学的に心を探したという話もある。誰もが知っている言葉であるが、これが心だと見せることはできない。心の働きも、どこにあるのかも定かではない。それは、魂や靈、靈体、幽体のことも、言葉としては知って使っているが、その働き、役目などの実態はまったくと言っていいほど解明されていなことと同じであろう。
しかし、見えない世界、原因の世界を科学したワイオ理論ではもちろん明確にされている。心とは、脳と対の働きで、思う役割をしている。すべての結果は、まず初めに心が思うことからスタートする。心には、どのように思うのか、判断するのかのモノサシが入っていて、そのモノサシで選択して、どのように思うのかを決定している。心で思ったことを具体的にどうするかを脳が考えて具体的な行動になるので、「思考」とは、心が思い、脳が考えている両者の働きを表現した言葉である。
それにしても、人間はとても複雑にできていて、動物の脳は解剖して、これが脳だと確認できるが、心は物体として見つけることはできないのだ。そして、この「思考」の働きは、動物、植物、鉱物、エネルギーなど、名前のついているすべてと言って良い存在においても、心と脳の働きが備わっている。非常識な話ではあるが、いつでも証明できる。心と脳は、毎日、休むことなく対で働いており、顕在意識としての心、本当の自分である魂の心、靈の心、靈体の心、幽体の心などなど、たくさんの心と脳が、それぞれの場で役目を果たしている。胃には胃の心と脳があり、同様に、心臓、肝臓、腎臓と、各臓器にも心と脳が働いている。
とすると、胃がんになった胃の心はどのように思っているのだろう?手術に対して、抗がん剤に対して、本当はどうしてほしいと思っているのだろうか?それを知るのが、これからの医学の進むべき方向だとも言える。
我々は毎日、無数の心に囲まれて生活しているのである。それらの心と、自分の心が通じ合う時代が、これからの皇の時代、精心文明の時代なのである。
さて、心のモノサシは、いつ、どのようにつくられているのか?例えば、宗教の信者は、その神の教えがモノサシとなる。共産主義というモノサシ、経済学というモノサシ、医学知識によるモノサシなど、多くのモノサシがそれぞれの心に入って働いている。ところが、同じ宗教の信者でも、原理主義者のモノサシは変わっていないが、サダムフセインのモノサシは変わっていたと言えるのだ。
サダムフセインは、イラク国民をイスラム原理主義の厳しい戒律で縛ることなく、ずいぶん自由を与えていた。つまり、フセインのモノサシは変わってきていたのである。第三者の冷静な目で見れば、アラーの神の本心を知ったフセインの魂は、モノサシを変えて、国民をイスラム原理主義から解き放つリーダーとなったのである。フセインは宇宙神界5合の高い御魂なので、アラーの神の、子供の段階の人類に教えたイスラムの教えをもうやめて、大人として判断しなさいという思いを知ったので、モノサシを変えることができたのであろう。つまり、モノサシは魂の進化と共に変わっていくのである。神の教えという絶対的なモノサシさえも変えることができるのだ。そして、進化した魂の心のモノサシは、神心、観音心と同じモノサシと言えるのである。
我々は長い間(2500年間)、祖のルールのもとにつくられたモノサシで生きてきた。祖のルールの常識のモノサシで判断してきたのであるが、今、そのモノサシを変えなければならない時を、ワイオ理論を学ぶことによって知ったのである。天変地異の後、宇宙のルールが変わることによって、今までのモノサシで判断し行動すると、ことごとく異常が発生することになる。とにもかくにも全国民がワイオ理論を学び、それぞれの心のモノサシを変えない限り、自分の望む人生を歩くことはできないのである。このことは責任をもって断言させて頂く。