ワイオ時事評論No.288 休まれる方々(9)

 

裁判所(99%)

 

人類の歴史は、絶対的権力を持っているほんの一部の者と、その権力に苦しめられてきた非権力者との戦いの歴史であったとも言えよう。非権力者が団結し、権力に立ち向かい、長い時をかけて、三権分立の民主主義をつくりあげてきた。それが、司法、行政、立法の三権分立となって、世界の先進国に定着したとも言える。あの中国も朝鮮もいずれそうなるであろうと思っていると思う。しかし、ワイオ理論では、地球人類が苦労の結果、やっと得られた、この法治の要、基本となる司法が、全く必要ないとして消滅すると言っているのである。まさに荒唐無稽な話であると、誰もが思ってしまうであろう。だからこそ、論より証拠ということなので、天変地異前に、すべての休まれる方々を予告しておかなければならないのである。

 

祖のルールの目的は、物質文明創造と魂の進化のために、どうしても様々な苦を体験することが必要であった。魂の進化とは、簡単に言えば、動物人間から、神心・観音心を持った魂になること、別の言葉で言えば、武士道精神(仁義禮智信)を持って人生を歩くことであろう。

 

弱肉強食の暴走を一定のところで止めるためには、司法制度がなくてはならない。どれだけ厳しい刑罰をもってしても「法は破るためにある」との言葉もあるように、法を犯す者は後を絶たないのが現状である。次々と新しい法がつくられ、人間とは、これほど様々な法で縛られなければ、社会生活、集団生活ができない動物なのかとも思う。

 

法と言えば、モーゼの十戒が有名であるが、殺すな、姦淫するな、盗むな、など、日本人には当たり前のことで、わざわざ神から言われなくとも、の内容である。十戒が出された時代の白人の世界では、それが必要であったのだろう。十戒が出されて、ずいぶん長い時が過ぎているが、いまだに法の縛りは必要で、全世界において犯罪はなくならない。

 

人間は、子供の段階では、親が厳しくしつけないと、慾の赴くままに、善悪の判断ができずに、してはならないことをする。人類全体にとっては、その子供の時代であったので、たくさんの法律で取り締まる必要があった。そして、5000年の子供の時代が終わり、大人にならないといけない時が来たので、法で取り締まらなくても、他人の嫌がること、苦しめることはしないだろうという事で、今ある司法はすべて必要ないとして、法を犯した者を裁く裁判所は、全世界から一気に消えてしまうのである。これはとんでもない無茶な話、信じられない話と、誰もが笑うか、怒るであろう。全世界の国々が、法治の基に国家として成り立っているのだから、法を犯す者を取り締まらなければ国家崩壊するではないかと。

ここで、宇宙を貫く一番元の法則とルールの目的に戻ると、その目的に対して、結果を出すエネルギーの働きがあり、ルールが変わることによって、エネルギーの働きも必然的に変わるのである。要するに、様々な犯罪をつくりだすエネルギーが働かなくなるのである。夢のような話ではあるが、論より証拠をしっかりと確認して頂きたい。証拠を確認できた時が、絶望が希望に変わる時である。