ワイオ時事評論No.290 馬鹿ばかり

 

馬鹿の語源は、サンスクリット語で、無知、迷妄の意味とある。だから、一般的には学力のない、テストの成績の悪い人の事を言うのであるが、馬鹿の言葉はよく使われる。しかし、本当の馬鹿の意味は、学力のない、記憶力の悪い人の事ではない。本物の馬鹿は、高い学力や立派な学歴があり、立派な肩書きを持った人の中にたくさん見られる。国会議員の中に、経済界のリーダーの中に、高級官僚の中に、そして、各分野のリーダーの中に、責任ある立場にいるからなお始末が悪いのである。

 

人生は、肉体、身体と呼ばれる車を引っ張るエネルギーによって進んでいる。そのエネルギーが、魂を中心とした自主(靈、靈体、幽体)の思考と、自分(肉体、身体、物体)の思考である。自主の思考は、長い輪廻の旅の経験による本当の自分の思考であり、自分の思考は、今の時代背景の中での生活環境や教育環境によって大きく左右され、自主の意に沿わない思考になる場合がとても多い。したがって、自主が本来、歩きたい道からずれてしまっている場合がほとんどである。つまり、自主の思考によって車を引っ張る馬に対して、自分の思考によって車を引っ張るのが鹿なのである。これが馬鹿の状態なのだ。

 

シカトするとの言葉がある。これは相手の思いに頷き、同調するのではなく、横を向いて相手の思いを受け入れないことの表現である。自主の思いと言っても、繰り返す輪廻の学びによって、次第に神・観音レベルに進化、成長していくので、まだ進化の進んでいない思考となる自主もいる。少なくとも、それぞれの分野のリーダー的立場の者や、国会議員ともなれば、その責任はとても重いことは言うまでもない。国のリーダーの立場にある者が狂っていれば、その責任を果たせずにいれば、その国は滅びる方向に進んでいく。今の日本国の現状は、まさに滅びる方向に進んでいるのではないかと真剣に心配している方々が、チャンネル桜や虎の門ニュースのコメンテーターの方々と思う。

 

馬鹿は死ななきゃ治らないとの言葉がある。後悔先に立たず、後の祭りの言葉もある。気づいた時がチャンス、今からでも遅くはないとも言う。その人に武士道精神があれば、現状に対し悲憤慷慨し、何とかしなければと思う。しかし、その何とかが難しいから悩みは尽きない。自分のできることを諦めずに続けていくのであるが…。

 

そして、だからこそワイオ理論なのである。

 

人生の車を引っ張る力が、馬と鹿ではなく、馬と馬であれば、文字通り、馬が合う事になる。自主の思考と自分の思考が一致した時、車は2頭の馬によって、自分の人生の目的に向かって、まっしぐらに走ることができる。道を逸れずに走ることができる。その本当の自主の道を走るために、今、悲憤慷慨している熱き心の侍の方々に、ワイオ理論を学んで頂きたい。ワイオの龠幸札と器械の力で、鹿を馬に変えて頂きたい。それと、自主と自分が本当に向かうべき正しい方向を見つけるために。

もう時間が迫ってきている。後の祭りにならないことを願うばかりである。