上志満講師の他界後、はじめて行ったお話し会の前日(R3.4.17)に信号があった。于由ワインさま、于由創造主の方ではないかと思われる。
(ちなみに、生前、上志満講師への症状、信号を探っていく中で、于由には闇の創造主さま、光の創造主さまがおられ、さらにその方々とは別に、于由の創造主さまも対でおられるというところまでは確認できた)
氏の旅立ちを、みなさま、どのように受けとめておられるでしょうか。
この旅立ちは、皆さんにとっての分岐点であります。
より強く、御魂の思い、(御魂の)望む方へと歩みだす者もあれば、おそらく離れる者も出てくることでしょう。
そのような中、このようにして、皆が集いました事、とても嬉しく感じております。
まだ月日、浅く、氏を失ったことへの悲しみも癒えぬさなか、早々と体制を整えあげ、新しき歩む道を示すという事は、大変、重き役目であったかと思いますが、それぞれが協力し合い、また、陰で、見えぬ方々も共に働き、今日という日をつくりあげましたこと、お伝えしたいと思います。
御魂の数ほど、個性豊かに集い、御魂の思いの数ほど、幾通りにも道は開けてまいると思います。道しるべは、皆、各自、自分の中にあります。今はまだしっかりと見えぬ、感じぬ方もおられますが、必ず目の前に次第に現れてまいります。焦ることなく、一歩を大事にしながら、共に歩んでまいりましょう。
このように皆さんと、言葉、思いを交わし合える日を、また楽しみにしております。
今日は、共に学び、共に新たな道を一歩進む、その始まりの日であります。集って下さった方々に、神界一同、お礼申し上げます。そしてまた、期待を致しております。
金輪際、姿を現すことはないと思っていたが、人という生きものを生み出し、育んできた者としては、放っておくわけにもいかない。
人は自立の道を歩むが、だからとて、わしらの思いを無視し、ひたすらに歩むことが正解なのかは分からない。たまにはこういう事もよい機会だろう。
ああだこうだと口出しはできないが、見守っていることは確かだ。確かに見ておる。
何京年という時の機軸(基軸?)を費やし、完成まで導きあげようと積み重ねてきた。この破片が、断片的に、どこに向かっているのかさえ分からぬ時もあったが、今はようやく落ち着いているようだ。
人類は滅亡はせん。氏が残してくれた功績、大事にしろよと言いたいぞ。
人はなぜ歩むのか、歩み続けるのか、そしてまた、われらもなぜ、このような実験を始めたのか、今は語るまい。
しかし、並々ならぬ思いがあったのだ。その胸中、いつかは見せる時が来るかもしれない。受けとめてほしい、その時が来たならば。