御魂と顕在を分かつ、相反する思い

一つ前の記事で、御魂の声を聴きたくない思凝霊さんのことに触れたが、最近、新たに登場された方々のことを紹介したい。

 

・○○の御魂を怨む思いの固まりさん

・○○の御魂を怨む思凝霊さん

・○○の御魂に裏切られたと思って生きてきた思凝霊さん

・○○の御魂の言いなりになりたくない思凝霊さん

 

そして、以前から時折、本人を守りたい一心で、守るために制限をかける働きの方々が出てこられていたが、あらためて紹介しておきたい。

・○○に魂職をさせたくない過去世の家族の思いさん、または思凝霊さん

(これはあくまでも一つの事例に過ぎない)

 

このような方々がおられると、顕在意識の努力だけでは、御魂さんと一体となることはなかなか難しいであろうと思うし、このような方々の影響力の方が強ければ(力関係)、顕在意識も同じような思いを感じながら生きていくことになる場合が多いだろう。

 

魂の記録をもとに生きていくルールが働く中で、自分の中に相反する思いを抱えながら生きるということは、苦しい事であろうと思うし、何よりも、この方々はずっと長い間、苦しみの渦中におられたまま過ごされてきたのだ。何百年、中には千年以上前に誕生したという方もおられる。苦しみから解放され、幸せな気持ちで過ごせるよう、味わった苦が、けして無駄ではなく、大きな意味があった、報われた、そのような思いになって頂けるように、宇宙の大元の方々が用意して下さった龠幸札を、これまでの頑張りに対するご褒美として受け取って頂きたいという思いである。

 

このような方々が生まれた背景には、祖のルールの中でも、魂の持つ人生観や能力を発揮した人生、発揮しようとした人生、祖のルールの中でも皇の価値観や生き方を貫こうとした人生、世のため人のために、神・観音のごとく生きようとした人生などがある。

 

その当時、まさかそれがルール違反であるなどとは誰も知らなかったのである。ただただ打ちひしがれ、無力感にさいなまされ、身も心もボロボロになり、心や脳にもダメージを受け、心と脳が外に飛び出してしまうこともあった。そのような状態になった時に「御魂を信じて行動したのに、こんなひどい目に遭うなんて、もう二度と御魂を信じてなるものか」「御魂は私を見捨てた。裏切った。助けてくれなかった。神も観音もこの世にはいない」と絶望する気持ちは想像に難くない。どこに、誰にぶつければいいのか分からない苦痛、悲痛の思いは、たとえば御魂を怨む思いの固まりとなってしまい、今もまだ、その当時の苦しみが続いているということなのだ。

 

色々な思凝霊さんの思いを聞いていると、自分は仲間を助けられなかった、自分だけが幸せになることはできない、お札に乗る資格はないと言われる方もおられる。自分はボロボロに、極限まで傷ついてもなお、仲間を思う心を持ち続けているという事実に、素直に、本当にすごいなと思う。武士道精神に通じるものではないかと思う。祖の時代においても、真心を、武士道精神を発揮しようとした方々は、例外なく、深い傷を負っている。

 

 

また、仲間の中には、ワイオの記録を持つ者も多いが、そのような方でも「ワイオをやりたくない思凝霊さん」がおられたりもする。

 

その他、

・○○の祖の思考思凝霊さん

・○○の損得勘定思考の固まりさん

・○○の肉体心に入った祖のものさしさん

・○○の靈の人生観を発揮した時の記録の封印

 

このような方々に対しても、対応していく予定である。

 

 

最近の公の動きについては、日本に対して8年前に仕掛けられていた中国からの妨害への対応、それに関連する方々への対応を継続中である。中国もまだ終わっていないが、韓国や北朝鮮への対応も必要なようで、項目としては現段階で、対応済みも含め、80項目ほどにもなる。何の報酬も出ないのに、力を貸してくれる仲間がいてくれることが何よりもありがたい。

どのような対応をしているのか、その中味についてもいずれブログに記していけたらと思う。