ふと思いついて、調べてみたくなった。
楽曲に、どのくらい事代主さまの思いが反映されているのか、そして、その楽曲に関わった事代主さまが、その曲をワイオのみんなに聞いてほしいと望まれているのかどうか。
事代主さまの思いの反映度合いは、パーセントであらわしてみた。
各アーティストの方々と共に音楽をつくっておられる事代主さまは、それぞれ別の事代主さまである。それぞれの歌の世界、音楽を通して、どのような思いをお持ちの事代主さまなのか、どのような事を伝えたい、届けたいと思われているのか、それぞれの個性が垣間見えるような気がする。
もちろん、それぞれの事代主さまと、それぞれの御魂さまと、それぞれの顕在のご本人との合作、共作であるが、曲によって、それぞれの影響する度合い、割合のバランスが異なるようだ。
中島みゆきさん
「時代」 68% 「命の別名」99%
「瞬きもせず」76% 「一期一会」82%
「銀の龍の背に乗って」「地上の星」共に100%
この中では、「時代」だけは、ワイオのみんなに聞いてほしいか?の問いに対して、イエス反応は来なかったが、個人的には、時代が巡る=ルールの移り変わりや、輪廻転生を感じられ、好きな曲である。
「銀の龍の背に乗って」に出会ったときは、すごい!と思った。上志満講師から、中島みゆきさんはワイオ講師の記録があると聞いてはいたけれど、理論を学んでおられるわけではないと思う。
しかし、御魂さま、そして協力されている事代主さまの思いを受け取られているからこそ、このような歌詞が生まれてきたはずである。ワイオの中でもまだ銀の龍神様の存在が出てきていなかったと思う頃に、この歌詞を書かれているというのは、本当にすごいと思う。また、個人的には、「何かの役に立ちたい気持ちだけは一人前にあるのに、実力がたりない、力になれない」と感じていた頃の私の気持ちに寄り添ってくれたり、怖がりの自分から一歩先へ進む、その勇気をもらった曲である。
銀の龍神様の背に乗せてもらって、ワイオという光を、必要とする場所へ、方々へ届けることで、乾ききった命の砂漠に水がしみこみ、鮮やかに命が動き出す、鮮やかに命を吹き返す。聴くと、そのようなイメージが脳裏に浮かぶ。ワイオを必要とする方にとって、ワイオとの出会いは、まさに渇いた砂漠に水がどんどんと沁み込むようなものに感じられるのではないだろうか。
そして今、ワイオを伝えようと一生懸命、動いている者たちも、けして特別な者たちではなく、他の多くの方々と同じように、さまざまな傷を持ち、苦しみながら生きてきた者たちばかりだ。自分の味わった悲しみが、ワイオを伝える翼に変わり、自分の傷跡が、皇の時代を前へと進める、力強い羅針盤となる。
「地上の星」は、これはワイオの歌だと、上志満講師がよく言われていた。
福山雅治さん
「暁」86% 「クスノキ」92%
福山雅治さんもワイオ講師の記録があると聞いている。講師の記録と言っても、教えるという形での表現ではなく、音楽という表現を用いて、広く多くの方にメッセージを届けるという形を取られているということなのだろうと思う。この二曲はどちらも、ワイオのみんなに聴いてほしいという反応がきた。
BUCK-TICK
「残骸」78% 「鼓動」100% 「楽園」98%
「極東より愛をこめて」82%
「ゲルニカの夜」95% 「胎内回帰」96%
上志満講師曰く、「残骸」と「鼓動」は皇の歌だそうだが、「残骸」がなぜ皇の歌なのかは、いまだしっかりと理解ができずにいる。「鼓動」は「悲しいことは何もない」という歌詞で終わるのだが、その部分を読んだ上志満講師が納得をされていたような感じだった。バンドメンバーのうち、お二人はワイオ講師の記録をお持ちだそうだ。
この中では、「極東より愛をこめて」以外の曲は、ワイオのみんなにも聴いてほしいという反応だった。
「ゲルニカの夜」は、ボーカルの方が子供の頃に、前橋市の空襲を映画化した「時計は生きていた」を観た時の体験も歌詞の中に描かれている。
「胎内回帰」は特攻隊がテーマだと思われる。
LiSAさん
「紅蓮華」89% 「炎」97% 「明け星」93%
三曲とも、ワイオのみんなにも聴いてほしいという反応だった。
「炎」は、上志満講師という、大きな大きな存在をなくした私に、前へと進む力をくれた歌だ。聴いた時「これは神界が用意してくれた歌だ」と感じた。セミナーの中でよく、武士道精神について話してくれていた上志満講師の死と、鬼滅の刃の中での煉獄さんの死が、私の中で重なった。
煉獄さんが最後まで任務を全うされながら、皆を守りながらなくなる場面が出てくる、無限列車編のアニメを観た後、受け取ったメッセージがあったので、少し話がそれてしまうが、紹介させて頂こうと思う。
一輪の華 君に託すよ
命はやがて燃え尽きるもの
ならば最後まで咲かせきってほしい
燃え尽きる、その時まで
華を咲かそう
心の真ん中に
燃え尽きることのない大きな華を
燃やせ、燃やせ
生きる意味がここにある
扉を叩け
まだ開いておらぬ扉を
自らの手で開けるのだ
夜明けは近い
匂いはかなり濃い
もうまもなくだ
その時までの辛抱だ
命の華を 見事な華を
咲かせておくれ
燃やしておくれ
燃え尽きる その時まで
輝かしい未来が ここにある
鬼滅の刃という作品そのものが、日本神界の思いや心が込められているような気がしていて、機会があれば、そのあたりも確認してみたい。
上志満講師と一緒にカラオケに行くと、「その曲は、○○様のリクエストだね」「今、○○様が一緒に歌ってたね」などと言われることが時々あった。結果的に、先生と一緒に行った最後のカラオケになってしまったが、その時に、テレサテンの「香港」を歌っていたら、自分でも、これは私のいつもの歌い方ではないなと感じた時があった。いつも私が息継ぎをするところで息継ぎをしないまま歌い続けていたり、こぶしのようなものがでたりしていたからだ。そして、自分だけで歌う時よりも上手に歌えたような感じがした。歌い終わると、「瀬織津比売さまが一緒に歌ってた」と言われた。
これまでは、神と人との距離は、とても遠くに感じられることが多かったと思うが、皇の時代では、神と人との距離はぐっと近くなる。一人に対し、必ず、少なくともお一人は協力神さまがいて下さるし、協力神さまにも過去世からのご縁の方がつかれることも多いので、心の結びつきもしっかりとでき、まさに同志という関係性になる。自然といだく尊敬の念、敬意はもちろん持ち続けつつも、特別な儀式などはまったく必要なくなる。形よりも、心と心を通い合わせることを何よりも望まれる。
神さまだって、闇さまだって、ときには歌を歌いたくなる時もあられるだろう。ときには、いつも自分と一緒にいて下さる方々と一緒に歌を歌って楽しむ時間も、ぜひ♪
谷村新司さんの「昴」は、小笠原師に捧げる歌として、カラオケの最後に上志満先生に歌ってもらうことが多かった。今は上志満先生もあちらの世に行かれ、私の中では、小笠原先生と上志満先生の歌となっている。