以前から、時々、疑問に思うことがあった。
理論の知識量がたくさんあること、イコール、顕在意識と魂との開きの差が少ないということにはならないのはなぜか。
魂との大きなずれに気づかない、気づけないのはなぜか。
たくさんの知識があれば、その知識を活用して、自分のずれに自分で気づき、自分で修正できるのではないだろうかと思うが、ずれが大きくなって、どんどん御魂さまと離れていってしまう方もいる。なぜなのか。
それが現状だとするならば、知識だけではどうにもならない部分があるのではないだろうか。
いや、いずれは、本当に皇の時代のエネルギーいっぱいになった段階では、それだけでもよいのかもしれない。が、現状はどうか。
ある方と話していて、上志満講師は、ある意味、リアリストだったんだなぁと思った。「理論でこういわれているからこうすればいい」ではなく、現状との開きに疑問を感じ、そこを追求していったんだなぁと、今頃になって思った。
去年の夏、自分の御魂さまとやりとりした時に、こう伝わってきた。
「ワイオ 理論の知の部分で補えない部分への助け船となる」
「御魂さんの声を聴きたくなる人は多くなる 感性が鋭くなればなるほど、望む人、増える もう少し先かな」
私は、これまでもずっとそうしてきたように、御魂さまの思いを道標にして、これからも進み続けてみよう。